こんにちは!
僕は2015年~2016年秋頃まで「Webエンジニア」という職に就いていました。
今回はその「Webエンジニア」という職業について書いてみる。
すごく簡単に言うと、
・HTMLやCSSというツールでWebページの見た目を作り、
・Twitterのようなユーザが入力した内容を表示するような動きの部分を作り、
・ネットワークやサーバといった裏方で活躍するものをいじったり、
これら全般的に設計したりとWebに関わる何でも屋さんのことです。
自称するのもおこがましいですが、私は元Webエンジニアの見習い(実際にはろくにコード書けない卵)だった過去があり、今はITインフラサーバ専業で仕事してます。
Webエンジニアのお仕事て今の時代、人気も需要もすごくお高いのですよね。
ただし、僕はこの仕事を辞めて、今は客先常駐で稼働中のシステムの保守・運用、更改案件の設計・構築なんかをしています。
そんな私がWebエンジニアをやるまでの経緯となぜ辞めたのかを何度かに渡って少し書こうかとおもいます。
1.未経験から始めたWebのお仕事
私は零細規模の某Web制作会社にて、Webアプリケーションシステムの保守・運用を1年半経験しました。
そこは受託で大学や高校といった学校のWebサイト制作や業務システムの受託開発・運用を手がけている会社で、私は転職で入社しました。
正確には第2新卒という枠で雇っていただけました。
というのも、その前に新卒で入った会社では人材系の営業をやっておりましたが、営業のノルマに耐えきれず、ドロップアウトしてしまいました。(最初の会社を辞めた経緯は後日書きます)
次は何しようかなぁとネットで情報集めてたところ、IT業界は人手不足で未経験からでも入りやすいというのがわかりました。
IT業界が3Kと呼ばれ、人手不足が深刻であるということは学生の頃からなんとなく知ってはいたのですが、予想以上に人手不足で、未経験中途採用でも求人倍率は非常に高いらしいということがわかりました。
その中でもWebの世界というのは、IT音痴の自分が関われるなんて全く考えもしなかったですし、「自分でWebサイト作れたらかっこいいだろうなぁ」とか「プログラミングできたらノマドになって自由に働けてかっこいいなぁ」とか、完全にど素人目線で都合のいいことばかりが頭に浮かんでました(笑)
不純な動機もいいところですよね。。。
ちょうどその頃(2015年頃)て、子ども向けのプログラミング教室やProgate、CodeAcademy、ドットインストールなど無料のプログラミング学習サイトが勃興し始めた頃で、単純にプログラミングへの変な憧れがあったようにおもいます。
「今後需要が見込めるのはWebや!」
そんな単純な考えでWeb系をメインにIT業界への転職活動を始めたのです。
その当時はよくわからず、とりあえず手っ取り早くプログラミングの勉強ができそうだと感じて、完全な初心者向けの「Rubyプログラミング」の本を購入し、転職活動中マイペースにやってました。
この時点で本当にこれを仕事にしてやっていけるのか、もっと深く考えるべきでした。
最終的にはSES含め2〜3社から内定をもらい、Webサイト制作に力を入れている会社に決めました。
「テレビや雑誌、SNSで取り上げられるようなイケイケのエンジニアになる!」
そんな現実知らずの非常に甘い考えで、雇っていただいた会社で頑張ろうと意気込んでました。
2.入社後の1ヶ月は頭がズキズキする連続
無事入社して、当時の上司に言われたのが「とりあえずLinux(CentOS7)入れて!」でした。
「えっ、Linux!? CentOS!? それなんJ!?」
「Linux」というワードは聞いたことは幾度もあれど、何を指しているのかさっぱりわかってなかった私。
ただ業務中にそれをいきなりやると時間と労力がかかるということで、家での課題として出され、実際にはすでにLinux環境とJavaでのプログラミング環境は用意してくれていました。
「よっしゃあ! これでエンジニアデビューや!」
そう息巻いてた私ですが、プログラミングを舐めていたことを痛感しました。
「Java」は入社前に勉強しておいてほしいと言われていたので、Rubyの勉強を止めて、ほんの少しJavaをやってました。
が、、、
それだけにとどまらず、OJT中にいろいろなツールやサービスの名前が出てきて、大パニック状態でした。
入社してたった1週間で、HTML, CSS, Java, CentOS, MySQL, PostgreSQL, Struts, JSP, Java EE, JDK, JavaScript, TeraTerm,GitHubなどおおよそWeb開発で利用するであろうツールの名前がどんどん出てきて危機感を覚えました。
当時は運用中の設備予約システムの改修をメインにOJTで実際にコードに触れながらプログラムを学んでました。
土日もProgateやドットインストールでプログラミングの基礎を勉強してました。
サーバの環境構築など自分なりに調べて練習する日々でした。
そうこうしているうちにあっという間に1ヶ月が過ぎました。
当時教えてくれていたのは20歳くらいの若いバイトさんだったんですが、バイトを辞めるということで、直の指導員はいなくなりました。
3.入社後3ヶ月
気がつくと3ヶ月が過ぎていました。
相変わらず前述したシステムの改修と別のタスクが割り振られ、それに多くの時間を費やしました。(別のタスクとは、取引先の学校の授業動画を編集するお仕事)
それに加え、新卒入社3年目のバリバリできる先輩が会社を辞めるということで、急遽引き継ぎという形で彼が開発中のシステムを担当することになりました。
それまではJavaでの保守をやっていたんですが、引き継いだシステムがPHPでコーディングしているではありませんか!
しかもCakePHPというフレームワークを使ってる。
さらにはそれまで手薄だった、Javascriptまでがっつり埋め込まれている。
頭の中は「???」状態でした。
ろくにコーディングも保守もできない状態の私に一気に重くのしかかってきました。
4.入社後6ヶ月の成果とは?
先輩から引き継いだシステムのコードが(上司曰く)ひどいものだったらしく、仕組みの理解ができずに思い悩みました。
基本的に上司は小さいものから大きいものまで数十件のタスクを抱えていた人なので、あまりじっくりと教えてはくれませんでした。
上司自身も一人でなんとかやってきた人なので、自分で調べて自分で解決する、というスタイルが定着していました。
そんな環境の中、だんだんと夜遅くまで残ることが多くなりました。
Javaはおろか、PHPすらわからない。
エラーを調べても何が原因で、どう修正すれば解決につながるのか、わからないまま時間だけが過ぎる日々でした。
これは生活にも支障が出始めました。
夜ご飯を食べない日々が続いたり、土日も勉強どころではなく、1日ゴロゴロして終わるような情けない生活が続きました。
5.入社後1年の無念な実績
そんなこんなで1年。
途中、WordPressで運営しているウェブサイトをMovableTypeに移行するというお手伝いをしたり、新たに取引先の学校の授業動画の編集作業をしたり、ウェブサイト制作チームの保守作業を手伝ったり、本業以外の作業を挟んで1年が経ってしまいました。
信じられないかもしれませんが、この時点でプログラミングは全くできない状態です。
データベースの設計・構築はおろか、コーディング自体がまるでできない。
バグの改修案件も数え切れないほど溜まり、自分のやる気もモチベーションもなにもかも失っていました。
時には上司の手伝いで朝までやることもありました。
6.入社後1年と6ヶ月
この時点でやる気がなく、辞める決心を固めていました。
それに会社も人がどんどん辞めていき、業績も赤字ばかりが続いていたようです。
こんなんでいいわけない。
でも今はとにかく休みたい。
パソコンも触りたくない。
何もやりたくない。
こんな感じで思考回路はすでにクズ同然でした。
仕事に対する未来、会社も未来ともに感じなくなったので、結局辞めるという決断に至りました。
すべては私の怠惰が原因なのですが、それについては次回「Webエンジニアという職業から逃げた話②」で詳しくお話します。
7.辞めて思うこと
今最も旬のWeb系のお仕事を離れたのは、以上のような経緯があったからです。
本当に自分は努力が嫌い、興味がないとやらない、という性格でそれが仕事にも響きました。
特にWebエンジニアは覚えることも多いし技術の変化も早い。
これに自分のモチベーションが追いつかなかったです。
次はWebエンジニアになる上での心構えのようなものをお伝えしていきます。