Chimo no Logue

chimotyのメモ書きブログ

90年生まれのゆとり世代が人生の軌跡を綴ったブログ

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ブログを書くということを考える

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こんばんは。

ここ2ヶ月ほどブログ更新が止まってしまった。

僕の場合は単純な話で、書くネタに困ったり、ブログを書くのが面倒臭くなり、手を止めていた。
いろんなブロガーやインフルエンサーと呼ばれる人たちを見てると、本当にほぼ毎日更新していて感心でしかない。
過去にもブログを書くことについて、自分なりの考察を書いていたが、どうも自分の中で「ブログ=役に立つ情報の発信」という構図が頭から離れない。

chimoty.hatenadiary.com


ブログを始めた多くは更新し続けることの難しさに立ち向かえず足を洗っていくそうだ。まさに自分がそうだ。
そもそも僕は書くという行為が好きではないようだ。
ブログを続ける極意として、楽しんで書くことだといろんなブログや書籍で拝見した。だが、やはり書く以上は何かしら役に立つ情報を発信しなければならないという一種の脅迫観念めいたものに取り憑かれてしまい、結局ブログを書くことをサボっていた。
でも最近は考え方を変えてみた。
日記でもいいのではないかと。誰かの役に立つものでなくてもいいんではないかと。
もっと言えば、僕にとってブログはただの独り言でしかない。
その時々に感じたこと、考えたことを目に見える形で文に落とし込んでいるだけだ。
だから、ただの独り言と同じだ。独り言に役に立つも立たないもないだろう。
そう思うようにした。

確かにブログを始めた当初はアフィリエイトで広告収入を得て、脱サラすることを目標にしようと考えていた。

しかし、やはり現実は甘くはなかった。
1週間ほど毎日続けた後から、徐々に更新頻度は落ちた。月々のアクセス数やPVなども気にかけていたが、1ヶ月の閲覧数が5人とかだった。
それは今も変わらない。
終いには書かなければと強制的なものになってしまった。
結果、負担となりブログを書くこと自体が面倒になっていった。
そもそも書くということを楽しめていない自分がいた。
好きなことや趣味がそれほどない僕にとっては、何かを他人に伝えるということは苦痛なことなのかもしれない。
ブログを止めることも考えた。
でもこうして時々何かを吐き出したくなる。
おそらく孤独を感じているんだとおもう。
孤独というのは思ったよりも辛いものだ。
せっかくの休みでも何もやる気が起きないし、休日も外へ出ることは習慣にしているが、楽しみとかこれをやろうとか本当にない。
書店や図書館、ネットカフェに行って読書するくらいで趣味に没頭するなどがない。
ただただ時間が過ぎていくだけの日々に感じてしまう。
だからこそ、孤独に対するストレスというか不満・不平をブログやSNSなどに文字化して吐き出したくなるのだ。
誰も見ていないことは百も承知だ。
誰も興味を持たないことも、誰もこのブログに気づくこともないことはわかっている。
ブロガーたちが必死になって毎日毎日更新しているのと比べると、全く書いていいないのだから当然だ。

しかし、「自分のため」のブログというのも、ブログのあり方の一つではないかとおもう。

ブログに何かの制約があるわけでもない。
自由に思うままに、感じたこと・考えたこと・内心押し殺していることをひたすらに吐き出すようなブログがあってもいいとおもう。
要はストレス発散のため、ブログを書く。
完全に独り言だ。
それでも自分の中で何かがすっきりするのなら、それは自分にプラスに働くはずだ。
芸能人でもない限り、日記調では誰も読まないのは当然だ。
しかし、日記のようなごくごく普通の一般人のブログがあったら、新たなコミュニティができるかもしれない。
だから、とりあえずマイペースにブログを書いていくことを今後も意識していきたい。

書きたい時に書く。それも独り言を。

それが僕なりのブログへの接し方だ。

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