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【新卒社員へ】新卒入社して1年未満で会社を辞めたが何とか生きていけてる件

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こんにちは。寒さが嫌いなchimoです。

こういう話自体に需要があるかどうかわからないが私の新卒の頃のことを書こうとおもう。

タイトル通りなのだが、私は大卒後初めて働いた人材派遣の会社を1年足らずで辞めてしまった。

いろんなブログやTwitterでのツイートを見ると、起業する・ステップアップのためなど結構前向きな理由で会社を辞めたり、あるいはその逆でとてつもない過酷な労働環境、いわゆるブラック企業に耐えられず辞めたという話が多い気がする。

私の場合はどちらでもない気がする。

はっきり言うと、私の場合は単なる怠慢だ。

仕事が嫌で辞めた。

それだけだ。

これくらいのことで?と思われてしまうかもしれない。

当時は自分なりに周囲の多くの人に相談したり、一人で悩んだりもした。

しかし、世間的には単なる怠慢や甘えと捉えられるだろう。

ただ、自分と同じような理由で会社を辞めようか迷っている人は意外にもいるかもしれないとおもい、このブログを書くことにした。

1.内定がもらえず苦しんだ就職活動

会社を辞めた話の前に私の大学時代の就職活動について少しだけ書くことにする。

私は某私立大学の文系学部卒業のどこにでもいる就活生だったとおもう。

通っていた大学の就職率は非常に良く、学歴(学校歴)での門前払いをギリギリ喰らわない程度の大学ではあった。

大手企業への就職者数では毎年ランキング上位に掲載される大学だ。

しかし、自分の場合は卒業前の12月にようやく内定がいただけたような状態だった。

それが今回お話しする辞めた会社である。


就活中は50社程度(エントリーシートだけなら100社以上)の面接を受け、どれも撃沈状態だった。

来たる2013年の12月。

就活に対するやる気がほとんど削がれていた中で受けた、エンジニア専門の人材派遣・紹介の会社(以降A社とする)に営業職としてようやく内定をいただけた。

卒論真っ只中であったし、これ以上就活することに嫌気が射し、抵抗があった。

それにA社の待遇もまあまあ良かったので、地元を離れることにはなるが、とりあえず正社員として働くということを経験するためにもA社に行くことを決意した。

そして、2014年4月とうとう入社することになった。

2.私のキャリアは北関東から

当時A社の営業職は新卒6名だった。

同期のエンジニアは100名近くいたような気がする。

A社の方針として営業もエンジニアも地元以外でのスタートということが決まりだったので、当然私も親元を離れ、初の一人暮らしがスタートした。

私の最初の配属先、つまりキャリアの始まりは栃木県宇都宮市の営業所だった。

関西出身の私にとって縁もゆかりもない場所である。


はっきり言って不安でしかなかった。


それでも温かい雰囲気で私を迎え入れてくれた当時のメンバーには感謝だ。

私の担当するエリアが群馬県と栃木県の群馬方面、そして群馬寄りの埼玉県だった。

私の仕事はそのエリアにある企業の新規顧客開拓だった。

新人研修で習ったテレアポや商談の仕方を駆使して、契約条件に見合う企業に片っ端からアプローチしていった。

しかし、現実はそんな甘いものではなかった。

営業経験者ならご存知だろうが、アポ取りなど滅多にできないのだ。

ものの数秒で断られ終了である。

引っ込み思案で人前に出るのが苦手な私は電話をするだけでも、一呼吸以上置かないとできないし、ましてや電話で何を話していいのかわからない。

数十社に1社程度、ごくまれにアポが取れて、会社の紹介をしに行くことはあったが、客の要望に応えられる人材を紹介できるわけでもなく、一度訪問して終わることが多かった。

そうこうしている内に入社して3ヶ月が経過した。

アプローチする企業がなくなってしまった。

どうしよう。。。

そんな感じで営業所にいることが多くなっていた。

当然、所長や上司からは、外に出ない営業は営業じゃない、と叱られた。

上司には「とにかく電話しろ!」、「再訪問しろ!」、「アポ取れないんなら飛び込み営業しろ!」など、どれも私にとっては地獄で、拒絶反応が出るものばかりだった。

言われるがままに飛び込み営業や再訪問をすることにする。

中には優しく接してくれる客もいたが、ほとんどは厳しく、「何しに来たんだ!?帰れ!」と怒鳴られることもあった。

沈黙が続くことも多々あり、まさに地獄の時間だった。

同じ営業所内の年齢が近い先輩も似たような状況だったが、彼はなんとか1社契約を決めることができていた。

入社して半年が経とうとした頃、私は上司に呼び出され、こう切り出された。

「異動が決まった。すぐに準備しろ」と。

同期の営業もそれぞれ異動することになったと話があった。

慣れた頃に異動か。

そう溜息をつく間も無く、2014年10月、別の営業所に異動した。

少し期待もしていたが、これが全くの逆であったことは当時の自分は知る由もなかった。

2.厳しい環境で恐怖を覚える

新天地は愛知県名古屋市。

名古屋も初めての土地だった。

当時の名古屋の営業所には同期の営業が一人いた。

しかし、これが非常に良くできる営業だったため、少し後ろめたさはあった。

結論から言うと、名古屋は非常に厳しい環境だった。

いや、いわゆるゴリゴリの昭和式の仕事の仕方だったと言う方が適切かもしれない。

当時の上司から最初に言われた一言が「出社時の声が小さい。やり直せ。」だ。

「!?!?!?」

頭の中はこんな感じだった。

僕は営業所の扉を開けるところから、挨拶をやり直しをさせられた。

2度やり直しをしただろうか。

学校の生活指導のように事細かく指摘された。

これを「ありがたい指導だ!」とおもえなくてはならないのだろうが、当時の自分は全くそう感じる余裕がなかったし、威圧的な上司に萎縮してしまった。

他にも髪が長いから切れとスポーツ刈りにさせられたし、商談の指導も受けたが、全て否定されるような返し方だった。
極め付けは「お前は甘すぎる。今までのこと全て忘れろ。」と。

そこからは所長や上司含め、私の行動一つ一つを監視、聞き出しされるようになった。

「どこに行ったのか」、「どういう話をしてきたのか」、「どうやって要望に応えるのか」逐一報告しなければならなかった。

出社するのが憂鬱でしかなかった。
栃木時代もそう感じることはあったが、名古屋はそれ以上に恐怖でしかなかった。

途中社用車をぶつけてしまったこともあるし、直行・直帰する目安となる時間を知らずそれでしばしば怒鳴られたし、事務処理が遅れて周囲に迷惑をかけたこともあった。

終いには同期からも喝を入れられるようになった。


もはや自分の立ち位置がわからなかった。

言われたことすら満足にできない状態だった。

同期がどんどん契約を決めていく中、自分だけが契約0を維持していた。

辞めたい気持ちがどんどん高まっていった。

3.左遷宣告を受ける

出社して怒られるのが嫌で無理矢理にでも外へ出て仕事したフリをしばらく続けていた。
だが、それにも限界があった。

所長や上司から追い詰めるような言い方で叱られ、精神が参っていた。

そんな矢先、2014年12月、当時の所長と部長に呼び出され、こう切り出された。
「うちではこれ以上面倒を見切れない。他の営業同期とはすでに差が出てしまっている。この差はもう埋め合わせできない」と。

要するに自分はもはや戦力外ということだ。

そして、続いて「グループ会社で人を探している。出向という立場で行ってくれないか?」と言われた。

「考えさせてください。」

そう残し、しばらくどうするか考えることにした。

「情けないなぁ」

当時は悔しさもあったが、自分のやるせなさに涙が出た。

なんでこんなことになったんだろう。

もちろん会社への怒りも多少なりともあった。

なぜかというと、営業所の私以外の人間がみんな、私が通告されるより1ヶ月も前から知らされていたというのだから。

人間不信でしかなかった。

自分はどうするべきかいろんな人に相談した。多くは「とりあえず3年はやってみろ」、「今のままじゃどこ行っても通用しない」、「ポストがあるだけありがたいと思え」などなど。

答えはすぐに出す必要があったし、とりあえずグループ会社に出向することになった。

4.グループ会社へ出向

すぐに出向手続きを施し、グループ会社へ行くことになった。

同じ名古屋市内に事務所があったので、割とスムーズに事が運んだ。

そこの会社は製造業派遣を事業にして新しく立ち上げられた会社だ。

集まったメンバーも他のグループ会社から出向で来ていた。

雰囲気的にもA社よりは良かったし、年の近い先輩もいて、話しやすい雰囲気ではあった。

隣県の山奥にある工場に常駐で派遣スタッフの勤怠管理を行うのが職務だったが、なんせ名古屋からは遠かった。

車で1時間半程度だった記憶がある。

会社の方針で通勤では高速道路を利用できなかったこともあり、名古屋の自宅から引っ越しするよう言い渡された。

山奥なので、電車は走っていない。

生活するのに最低限の食料品店などはあったが、そこで生活を送り、この会社に居座ることに意味はあるのだろうかと疑問が湧いた。

さらに当時は社用車を利用していたが、半年後を目処に自分で車を買うように促された。通勤用の車である。

もし引っ越ししてしまったら後に引けない。

どうするべきか。

悩みに悩んだ。

常駐先の先輩に相談したところ、意外にも辞めることを勧められた。

悩んでまで引き受ける仕事じゃないよ、と言われたのだ。無理に3年間続けることになんの意味もない、と。

そう言われた途端、それまで自分が感じていた重荷が一気に降りたような気分になった。

「この会社にこの先いて、自分は何を実現させたいのだろうか?」

ひたすら自問自答した。

しかし答えは出せなかった。

その程度にしか考えられなかった。

まだやり直せる年齢だ。後悔しないためにも辞めよう。

そして、2015年の1月末、ついに会社を辞めることを出向先の責任者とA社の所長に伝えた。

5.入社1年足らずで辞めてみて

出向先のグループ会社の代表や責任者、先輩にご迷惑をかけたし、非常に申し訳ない気持ちだった。

最終日にA社で退職手続きをしなければならず、1日だけ立ち寄った。

自分の働くことに対する甘さや出向すると言っておきながら拒否した姿勢を問題視された。

最後まですみませんとただただ謝るしかない時間だった。

しかし、そこの営業所のメンバー全員にお礼を言えたのは良かった。

そして無事に会社を辞めた。


当時を振り返ってみて、たかだか会社を辞めるまでにバカみたいに時間がかかってるなと我ながらおもう。

もし辞めて転職できなかったら、と不安しかなかったため、会社にいるべきか頭を悩ませた。

今だから言えるが、決断というのは早ければ早い方が良い。

多くの人に相談したが、相談する前から自分の中で答えはすでに決まっていたのかもしれない。

私のように会社へ行くのが怖いと感じる人はいるだろう。

そうなってる時点で自分がどうすえるべきか答えは決まっている。

働く環境を変えるだけで人は変わるし、ましてや誰と一緒に働くかで仕事の出来も変わってくる。

ある場所で結果を残せなかった人間が他の場所でも結果を残せないなんてのは嘘だ。

そんなのはまやかしにすぎない。

今お勤めの会社を辞めようか迷っている人は、周囲の人間がかけてくる言葉をしっかり聞いてみよう。

その中で「どこへ行っても通用しない」、「逃げたら負け」、「とりあえず3年続けてみろ」のような言葉をかけるような人間が多数いる会社は未来がない。

一刻も早く立ち去るべきだ。

自分がおもっている以上に転職はできるものだ。目的なしの転職するのは良くないかもしれないが、環境を変えることは非常に重要だと気づいた。

不安は案外的中しないものだ。試しに転職活動をしてみよう。

一度きりの人生やし。

後悔しないためにも今を大事に生きていこう。

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