Chimo no Logue

chimotyのメモ書きブログ

90年生まれのゆとり世代が人生の軌跡を綴ったブログ

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暇な人生ほど退屈なものはない

久しぶりの投稿です。

2019年も気づけば10月の後半。今年も残り2ヶ月ほどとなった。

10月に入ってからというもの、台風やら強風やら大雨やらで休日に何も予定がなく、暇することが多い。

タイトルにも示した通り、今回は「暇な人生ほど退屈なものはない」ということを書いていく。

休日は暇が多い

僕はごく平凡な会社員で土日祝日が休みだ。年間で言うと約120日前後のお休みは確保されてるわけやけど、この5年ほどは年間だいたい100日くらい暇していることが多い。もちろん毎週ランニングしたり、ラーメンやカレーの美味しいお店を巡ったり、 TVerで1週間分の番組を視聴したりと自分の時間を過ごすことはある。それでも誰かと遊びに行く、何処何処へ行く、など明確な予定というものがあまりない。
休日は何をするでもなくダラダラ過ごし、気づけば午後4時、5時を過ぎているなどザラにある。

定着している休日の過ごし方とは

暇になる要因はいくつかあろう。
自分に友達が少ないてことも関係してるやろう。それに没頭するほどの趣味がない。そのため時間を持て余していることがほとんどや。
それでもずっと家に篭りっきりなのは息が詰まってしまう体質になってしまったようで、無理やりブラブラ出かけるのが最近の休日の過ごし方になった。

出かけるとは言え、特に行き先があるわけではない。ただ、ぼーっと過ごすよりはマシかとおもって、図書館・書店・ブックカフェ・ネットカフェあたりに行くことが多い。いずれも基本的にお金のかからないところに出かけている。

30歳も目前という年齢でありながら、休日が老後生活のような状態になってる。
自分としては非常に困った事態だ。

お金持ちは暇すると聞くが

よく何億も稼ぐお金持ちが休日にやることがなくて暇をしていると聞くことがある。(本当の億万長者はそんなことはないかもしれないけど、、、)
ちょうど昨日(2019年10月21日)の夜に「秒速で億稼ぐ男」として知られる、与沢翼さんの今の生活特集が放送されていた。ドバイに何件ものマンションを購入し、さすがの豪勢な生活ぶりだった。しかし、彼にも一つの悩みがあった。それが「暇過ぎる」ということ。

僕とは全然違う次元の「暇」であるのは間違いないが、図々しくも親近感を覚えてしまった。与沢さんと違い、僕は所詮年収300万ちょっと(下の上〜中の下)のクラスの労働者階級の一角に過ぎない。それでも「暇」であることの辛さはなんとなくわかる気がする。暇を充実させるためにお金で買えることのほうが多いかもしれないが、わずかに満たせないこともある。それが意外と虚無感を抱いたりすることもある。

暇は必要だが、続くべきではない

僕は暇が好き。ぼーっと何もせずダラダラすることも時には必要だとおもってる。
でもね、忙しい中の少しの暇だけでいい。暇が続くと人間性も廃れそうな気さえする。読書や映画鑑賞、勉強などすることはあるが、ずっとそれに没頭できるほど僕は集中できないし、楽しめないし、すぐに飽きてしまう。
暇であることは実は人生の天敵かもしれない。30歳手前にして老後の生活スタイルが見えてしまい、焦りを感じる。すでに老後生活を送っている気分やから。こんな生活があと40年続くと想像すると、ゾッとする。

暇から充実の日へ変えるためには

暇し過ぎて、時間つぶしに割くことに躍起になってる時がある。

そこで僕の思いをぶつけてみたい。

これを読んでくれた貴方は休日をどのように過ごしているのか是非問うてみたい。

どうすれば充実した休日となり得るのか。こんな些細な悩みだが、僕にとっては人生を大きく揺りうごかすことになるかもしれないので、是非貴方の考えが知りたい。

ブログを楽しむこと。それが一番大事

ブログのあり方について非常に良い記事がTwitterでシェアされていたので、ご紹介しよう。

blog.hatenablog.com


はてなブロガーのフミコフミオさんの記事だ。

僕はこの記事を読んで改めてブログを書くということを考えさせられた。

ブログのあるべき姿って!?

昨今ブログを書く人は以前と比較して格段に増えている。中にはアフィリエイトによる収入目的でブログを始める人もいる。

ブログを書く目的は十人十色だが、このような日記帳のブログが随分減ってしまったように感じる。芸能人はともかく、一般人でもやたらとブログのアクセス数や流入、バズり方を意識した記事が多く、ブログのあるべき姿みたいなものが漂いつつある。


フミコフミオさんの今回の記事はそんなブログのべき論を覆してくれる内容だとおもう。

特に僕が気に入ったのが彼の以下の主張だ。

  • 「継続は力なり」とは言いたくない。むしろ大反対。頻繁に更新をしなくても続けられるのがブログのいいところ
  • 縛りを作るのはブロガーとしての命を縮めかねない
  • ブログを続ける秘訣は、自分にとっての最適な更新ペースを見つけること

僕もブログを始めたきっかけはブログで稼ぎたいという欲からだった。

しかし、やはり続けられない、努力できない、書くのが面倒臭い、というブログ退場のあるある状態に陥った。

「役に立つことを書かないと」とか「更新しなきゃ」となぜか自分を追い込んでしまった。ブログを始めた2018年8月当初はこんな追い込みでもなんとか書けていた。でもある日から更新が減り、今では月に1回程度だ。

自分の言葉で語ることの重要性

「自分の言葉で語る」ことの大切さがこちらの記事でも言及されている。
僕もブログを書き始めた頃なんて、いいように見せようと何度も体裁を整えたものだが、今思えば、これはひどかった。

完全に別の誰かの仮面を被った自分が本心で思ってもいないことを表面上良さげに書いているように感じる記事ばかりだ。

だから最近は自分なりに感じたことを記事にしようと日記帳なブログを目指している。

それでももっと気楽にブログを書くことの大切さをこの記事を通じて再認識した。

更新のペースも他者のブログ記事も役にたつ・立たないの線引きも気にしない。

おもったこと、感じたこと、面白いとおもうことをどんどん自分の言葉で書き綴ればいいのだと。

ブログに取り組む意味、それはブログを楽しむこと。それが一番大事なのだ。

分散投資はほどほどにしよう

近頃ネットのニュース記事を見ていると、つみたてNISAやらiDeCoやらで資産運用を進める内容がかなり多くなってきた。

いずれも財政破綻が現実的になりつつある、日本国が個人で資産を形成することを促すための制度であるが、どれを見ても必ず入っているキーワードが「分散投資」という言葉だ。

「投資と言えば分散投資」と言われるほど投資の基本原則であるが、世間的に認知されている分散のあり方には少々疑問を感じることがある。

今回は分散投資に対する考え方を書いていこうとおもう。

1. 分散投資は効果的だけれども・・・

結論から言うと、投資における分散投資は必要であるが、ほどほどにすべきというのが個人的な見解だ。

よく言われるように「卵を一つの籠に盛るな」という格言がある。

一つの籠に卵をのせていたら、籠が落ちた時にそこに入っている卵がすべて落ちて割れてしまうということだ。

これを防ぐためにいくつかの籠に分散しましょうというお話である。

確かに株式や債券などの投資の知識をあまり持ち合わせていない個人投資家の場合は、とりあえず投資信託をメインに投資していれば、分散投資することは可能だし、それが効果的なのも理解できる。

しかし、分散投資とは「ローリスク・ローリターン」であることを心得てほしい。

投資において、リスクを最小限にしてリターンを狙うというのは正しいやり方だ。

それは否定できないし、僕自身もそうおもう。

ただ、株式にしろ債券にしろ(他の不動産REITなども含めて)値動きというものがあるわけで、それは上昇するときもあれば、下降するときもある。

さらにそれらの中にある外国株式や国内債券などは各国・各企業ごとの経済状況に左右されていく。

例えば、日本国内企業が不景気で株価が下降気味だが、そのときに米国企業の株価は軒並み上昇傾向という状況だとする。

この場合、どちらにも分散投資していれば、国内がダメでも米国側の景気を享受できる。

だから分散投資は必要だと考える人がおおいだろう。

しかし、こうも考えられないだろうか。

国内株に投資していた分を米国株に投資していたら、その分の利益を享受できた、と。

本来取れるはずの利益を失ったと言い換えることもできる。

投資はいかに損しないかではなく、いかに最低限の損失で利益を得るかということが大事だとおもっている。

だから、分散投資は効果的ではあるが、本来得るべきの利益を失っているという視点ももってほしい。

2.バランス型ファンドの効果とは

つみたてNISAやiDeCoでオススメされている商品の大半がバランス型ファンドと呼ばれる商品だ。

それらの多くが全世界の企業銘柄の株式や債券、不動産に少しずつ投資するというもので、個人投資家でも気にすることなく、分散投資できるというものだ。

例えば以下のような商品はつみたてNISAで今買うべき投資信託として紹介されていることが多い。
楽天・全世界株式インデックス・ファンド
・eMAXISSlim全世界株式(オール・カントリー)
・eMAXIXSlim(8資産均等型)
・<購入・換金手数料なし>ニッセイ・インデックスバランスファンド(6資産均等型)


いずれにしても個人的にはあまりオススメできない。

理由としてまずは上2つの全世界型株式投資について述べてみたい。
いずれも米国株への投資割合が約50%程度を占めており、米国以外の銘柄に投資する意味はないからだ。
これまでの経験上、世界的大暴落が発生した場合に米国企業の株価は軒並み下落することになる。そして、その米国経済の状況は日本然り他の国々にも波及していく。米国が大暴落中に他の国々の株価(個々の企業ごとではない)は間違いなく、同様かそれ以上に下がる。

逆に真っ先に米国が経済状況が回復し、株価が上昇しても日本やドイツなどの国が同様に回復するかというとそうでもない。現に2018年の10月ごろから3ヶ月程度は世界的な株安状態が続いた。そして2019年に入り、徐々に米国経済は回復していったが、日本国内株の回復が見られたのは2月に入ってからだ。
これはリーマン・ショックのときも似たような現象だった。
不況からいち早く脱却するのは米国だし、他の国はしばらく不況が続くことが多い。

だから、全世界の株式銘柄に分散投資するのではなく、米国中心に投資する方が良いだろう。


そして次に資産バランス型ファンドについて。

分散投資の効果を引き上げるのはこのように様々な資産に投資することだ。
上記で紹介した資産バランスファンドは、一見この考えに即しているように思えるが、実はそうではない。

なぜなら資産配分が同じ割合ずつのポートフォリオで形成されているからだ。

確かにこのように各資産(国内外株式・国内外債券・国内外不動産など)にバランスよく同じ割合でポートフォリオを組めば、分散効果は望めるかもしれない。

しかし、前述の全世界株式と同じで、値動きが大きく下がった時には最小限に抑えることができるが、投資先の調子が良く、株価や地価が上昇しているときにも他のファンドに比べて投資割合が少ないため、得られる利益も少なくなる。

なるべく投資額を減らさず、元本から少しの利益で満足と言うならこの資産バランス型は最適かもしれない。

しかし、大多数の人は投資した金額以上に儲けたいと考えるはずだ。

そう考えると、資産バランス型ファンドはあまりオススメできない。

3.リスクを承知で投資に挑むこと

投資に絶対はあり得ない。多少なりともリスクを背負う必要はある。どうせリスクを背負うなら、リスクに対するリターンの割合が大きい投資をすべきだ。

何もハイリスク・ハイリターン投資を薦めているわけではない。

例えば、基本は米国株式をメインにし、それとは相関係数の低い国内REIT(不動産)などに投資しておけば、株価の調子が悪くてもその影響が比例して受けることはないだろう。

分散投資は投資の基本ではあるが、同じ資産(株式なら株式だけ)に分散してもあまり期待できない。

それぞれ異なる資産配分を自ら考え、時には配分を見直すなど状況に応じて投資先を変えることも大事だ。

ブログを書くということを考える

こんばんは。

ここ2ヶ月ほどブログ更新が止まってしまった。

僕の場合は単純な話で、書くネタに困ったり、ブログを書くのが面倒臭くなり、手を止めていた。
いろんなブロガーやインフルエンサーと呼ばれる人たちを見てると、本当にほぼ毎日更新していて感心でしかない。
過去にもブログを書くことについて、自分なりの考察を書いていたが、どうも自分の中で「ブログ=役に立つ情報の発信」という構図が頭から離れない。

chimoty.hatenadiary.com


ブログを始めた多くは更新し続けることの難しさに立ち向かえず足を洗っていくそうだ。まさに自分がそうだ。
そもそも僕は書くという行為が好きではないようだ。
ブログを続ける極意として、楽しんで書くことだといろんなブログや書籍で拝見した。だが、やはり書く以上は何かしら役に立つ情報を発信しなければならないという一種の脅迫観念めいたものに取り憑かれてしまい、結局ブログを書くことをサボっていた。
でも最近は考え方を変えてみた。
日記でもいいのではないかと。誰かの役に立つものでなくてもいいんではないかと。
もっと言えば、僕にとってブログはただの独り言でしかない。
その時々に感じたこと、考えたことを目に見える形で文に落とし込んでいるだけだ。
だから、ただの独り言と同じだ。独り言に役に立つも立たないもないだろう。
そう思うようにした。

確かにブログを始めた当初はアフィリエイトで広告収入を得て、脱サラすることを目標にしようと考えていた。

しかし、やはり現実は甘くはなかった。
1週間ほど毎日続けた後から、徐々に更新頻度は落ちた。月々のアクセス数やPVなども気にかけていたが、1ヶ月の閲覧数が5人とかだった。
それは今も変わらない。
終いには書かなければと強制的なものになってしまった。
結果、負担となりブログを書くこと自体が面倒になっていった。
そもそも書くということを楽しめていない自分がいた。
好きなことや趣味がそれほどない僕にとっては、何かを他人に伝えるということは苦痛なことなのかもしれない。
ブログを止めることも考えた。
でもこうして時々何かを吐き出したくなる。
おそらく孤独を感じているんだとおもう。
孤独というのは思ったよりも辛いものだ。
せっかくの休みでも何もやる気が起きないし、休日も外へ出ることは習慣にしているが、楽しみとかこれをやろうとか本当にない。
書店や図書館、ネットカフェに行って読書するくらいで趣味に没頭するなどがない。
ただただ時間が過ぎていくだけの日々に感じてしまう。
だからこそ、孤独に対するストレスというか不満・不平をブログやSNSなどに文字化して吐き出したくなるのだ。
誰も見ていないことは百も承知だ。
誰も興味を持たないことも、誰もこのブログに気づくこともないことはわかっている。
ブロガーたちが必死になって毎日毎日更新しているのと比べると、全く書いていいないのだから当然だ。

しかし、「自分のため」のブログというのも、ブログのあり方の一つではないかとおもう。

ブログに何かの制約があるわけでもない。
自由に思うままに、感じたこと・考えたこと・内心押し殺していることをひたすらに吐き出すようなブログがあってもいいとおもう。
要はストレス発散のため、ブログを書く。
完全に独り言だ。
それでも自分の中で何かがすっきりするのなら、それは自分にプラスに働くはずだ。
芸能人でもない限り、日記調では誰も読まないのは当然だ。
しかし、日記のようなごくごく普通の一般人のブログがあったら、新たなコミュニティができるかもしれない。
だから、とりあえずマイペースにブログを書いていくことを今後も意識していきたい。

書きたい時に書く。それも独り言を。

それが僕なりのブログへの接し方だ。

生命保険は必要なのか? 改めて考察してみた

こんにちは。

最後のブログ更新から約2ヶ月も経ってしまった。

 

ここ数日は自分が契約している生命保険について色々調べていた。

そもそも生命保険は必要なのか。

生命保険不要論が目立つ中、僕にとって本当に必要なものなのかどうか。

調べた結果と自分なりの考察をお伝えしよう。

 

結論から言ってしまおう。

生命保険は不要だ。少なくとも僕にとってはそうだし、多くの人も不要だと言える。

 

そもそも生命保険を検討するのに必要なことは次のことらしい。

 

・基本的には3種類の生命保険がある。(定期保険、終身保険養老保険

・誰のために保険に入るのか

・いつまでの期間が必要なのか

 

そしてベストな選択肢としては次の通り。

・独身、子ありの家庭持ちであれば定期保険の掛け捨て型保険(一定期間のみ保障、月々の保険料は安く抑えられる)

 

僕が契約している商品は某外資系保険会社の15年満期の定期保険だ。 

いわゆる掛け捨て型保険だが、月々8000円と決して安いとは言えなさそうだ。

よく見ると、入院や手術、通院に必要なお金が丸ごともらえる医療保険も兼ねているそうで、保障内容自体は悪くない。

しかし、国民健保や社会保険に加入している身としては、そこまで必要はなさそうである。

 

むやみに生命保険に加入すべきではないと感じた。

加入するとしても、月々1,000〜3,000円程度に抑えられる、掛け捨て型の保険を選んでおけば十分のようだ。

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